★★ 2019年 佐渡は HONMAの年です。★★「ホンマでっか!? 本間です年。」★★

慶長三年蔵納目録が語る上杉景勝の計略(佐渡金銀山を世界遺産に!) 

1598年 (伏見城蔵納目録)

慶長3年蔵納目録でみる運上金ランキング

出典竹越與三郎(1920)『日本経済史 第3巻』日本経済史編纂会,

竹越與三郎著・日本経済史三巻竹越與三郎著・日本経済史三巻

豊臣氏の領土及び之よりの収納高(慶長三年蔵納目録)

運上金 黄金山別ランキング

 地区黄金山名領主名 運上額グラム換算構成比
合計  3,397枚8両1匁1分6厘  525,966.78100%
1越後越後黄金山上杉景勝1124枚4両1匁4分2厘  174,056.7933.09
2佐渡佐渡黄金山上杉景勝799枚5両1匁6厘  123,762.5623.53
3陸奥伊達領黄金山大崎少将700枚  108,356.5020.60
4常陸佐竹領黄金山佐竹義宣221枚7両3朱    34,318.056.52
5出羽最上領黄金山山形出羽守163枚8両4匁1分    25,370.714.82
6但馬但馬中瀬川黄金山別所豊後・他2名127枚    19,658.973.74
7出羽出羽庄内黄金山上杉景勝97枚8両8分5厘    15,142.122.88
8陸奥陸奥国南部領黄金山南部信直40枚5両5分      6,271.061.19
9陸奥陸奥国相馬領黄金山相馬長門25枚6両2匁8分5厘      3,973.380.76
10甲斐甲斐黄金山浅野弾正22枚      3,405.490.65
11下野下野宇都宮黄金山浅野弾正18枚4両3分      2,849.350.54
12信濃信州佐久郡黄金山仙石越前12枚6両      1,950.420.37
13相模徳川領黄金山徳川家康10枚      1,547.950.29
14駿河駿河黄金山中村式部少輔9枚      1,393.160.26
15信濃信濃伊奈郡黄金山京極修理8枚9両2匁1分      1,385.510.26
16信濃信州黄金山石川玄蕃6枚6両2分      1,022.390.19
17越前越前今荘黄金山浅野弾正5枚5両2匁6分         861.070.16
18三河三河黄金山田中兵部少輔2枚1両7分1厘         325.110.06
19美濃美濃廣瀬黄金山廣瀬加兵衛1枚          154.800.03
20出羽出羽八島分黄金山浅野弾正7両1分6厘         108.950.02
21信濃信州黄金山浅野弾正3両1分3厘5毛           46.940.01
日本経済史 第3巻 P.67
「豊臣氏の収入中、金1枚は10両に値し、1両は4匁1分5厘にして※ 銀1枚は39匁なりとす」  ※ 天正小判1枚重量

表中での単位換算は下記のようにしました。
金1枚=41.5匁
1両=4.15匁
(1匁=10分=100厘=1000毛=10000朱)
1匁=3.73g
※ ウィキペディア 小判 によると、「京目(きょうめ)金一両は4.5匁(約16.8グラム)と公定され」※ 詳しい計算法が わかりません。
日本経済史 3巻61ページに合計が記載してある 黄金 3,397枚8両1匁1分6厘也をグラム換算すると525,966.7778gになりますが、エクセルシートに写した上記各黄金山の合計は525,961.277169gなり、約5.5g分の相違があります。

それにしても、上杉景勝の運上額の多さは、ダントツです。
世界遺産登録を目指す佐渡黄金山より、越後黄金山のほうが運上額が多いです。
この時期はまだ、相川金山は発見されてなく、主流が西三川砂金山なので当然ですが‥。

しかし、腑に落ちないのが、最後に記載してある銀の運上です‥。

天正小判

 

運上金 領主別ランキング

領主名運上高グラム換算(1匁=3.73g)構成比
 合計3,397枚8両1匁1分6厘  525,966.78100%
1上杉景勝2,021枚7両3匁3分3厘312,961.4759.5
2大崎少将700枚108,356.5020.6
3佐竹義宣221枚7両3朱34,318.056.52
4山形出羽守163枚8両4匁1分25,370.714.82
5別所豊後・伊藤石見・岡本権兵衛127枚19,658.973.74
6浅野弾正46枚9両3匁1分9厘5毛7,271.801.38
7南部信直40枚5両5分6,271.061.19
8相馬長門25枚6両2匁8分5厘3,973.380.76
9仙石越前12枚6両1,950.420.37
10徳川家康10枚1,547.950.29
11中村式部少輔9枚1,393.160.26
12京極修理8枚9両2匁1分1,385.510.26
13石川玄蕃6枚6両2分1,022.390.19
14田中兵部少輔2枚1両7分1厘325.110.06
15廣瀬加兵衛1枚154.800.03

 

運上金 地区別ランキング

地区運上額g(1匁=3.73g)構成比
 合計3,397枚8両1匁1分6厘  525,966.78100%
1越後1124枚4両1匁4分2厘174056.7916.55
2佐渡799枚5両1匁6厘123762.5611.77
3陸奥766枚1両3匁3分5厘118600.9411.27
4出羽262枚4両9分6厘40621.783.86
5常陸221枚7両3朱34318.053.26
6但馬127枚19658.971.87
7信濃28枚4両2匁4分3厘5毛4405.260.42
8甲斐22枚3405.490.32
9下野18枚4両3分2849.350.27
10相模10枚1547.950.15
11駿河9枚1393.160.13
12越前5枚5両2匁6分861.070.08
13三河2枚1両7分1厘325.110.03
14美濃1枚154.80.01

小判

慶長三年蔵納目録でみる運上額【銀子の部】

銀子の部 79,415枚7両
地区銀山名領主名 運上額グラム換算構成比
越前越前北袋銀山浅野弾正       22枚7両3匁2分3,473.380.03
越前越前府中槙谷銀山京三條口又右衛門     360枚52,369.200.45
中国(諸々銀山)柳澤監物  4,869枚708,293.436.13
飛騨飛騨銀山金森法印   數缺
越前越前国大野銀山林傅右衛門     298枚9両43,685.760.38
因幡因幡銀山宮部法印  9,282枚3匁6分3厘1,350,266.0811.69
但馬但馬銀山伊藤石見62,267枚9,057,980.4978.4
摂津摂津多田荘銀山八島某     476枚 9,243.720.6
但馬但馬中瀬銀山四方善五郎     350枚50,914.500.44
越中越中銀山前田肥前守   1,490枚216,750.301.88
○                         合 計79,415枚6両6匁8分3厘11,552,976.90100%
日本経済史 第3巻 P.67
「豊臣氏の収入中、金1枚は10両に値し、1両は4匁1分5厘にして※ 銀1枚は39匁なりとす」表中での単位換算は下記のようにしました。
【 銀1枚39匁 ・ 1匁=3.73g 】
銀1枚=10両・1両=10匁
1匁=10分=100厘

 

特筆すべきは、この当時、兼続のテコ入れにより、かなりの産出をあげたであろう鶴子銀山・滝沢銀山からの産銀の運上形跡は銀子の部では確認できないことです。

「佐渡金銀山を世界遺産に」が合言葉の佐渡にとって、上杉景勝の産銀の運上記録がないのは摩訶不思議なことです。

 

鶴子銀山、産銀の行方

産銀はすべて、景勝が占有できたのでしょうか?
秀吉と上杉の間で何かしらの密約があったのでしょうか?

上杉の佐渡攻め「佐渡天正の役」の答えとなる景勝の計略が、この慶長3年蔵納目録でみてとれます。

元は獅子ヶ城(河原田)城主、本間佐渡守高統が掌握していた鶴子銀山です。

天地人に愛はあったのでしょうか?

佐渡を世界遺産に

 

また、『河崎村史料編年志』によりますと

『河崎村史料編年志』 p.552
「藤田丹波覚書」。景勝上米船六拾艘余越前の浦ニ而損じ申候、右之船に佐渡銀子六貫目入の箱六百余登申候処、浦之者 銀も米も取散し、其上上乗・船頭共迄はだかに仕候。拙者は新保と申津へ船十艘つけ、米弐千石・らう・うるし・塩引迄蔵入仕、其夜十艘乍ら打破申候所、地下の者三百許押懸蔵を破可申由承、肝煎をとな、四、五人の女を証人に取、鑓・鉄砲にて船衆百人余召連蔵の番をさせ、直江山城方より治部殿江被申上候へば、御所様より越前浦々へ御人数被遣御せんさく、所々の代官・肝煎とも百人余はたものに上候。
 現 代 語 訳
上杉景勝の船60隻くらいが越前で難破しました。積荷は運上米の他、佐渡産の銀3,600貫です(6貫目入りの箱600余)。
海岸近くの人々が米や銀を奪いに来て、乗組員や船頭までも はだか(無一文?無抵抗の状態?)にしました。
私(藤田丹波)は 福井県丹生郡越前町新保の港に船10隻を着け、米2,000石・他を回収しました。しかしその夜、地元の人300人位がそれを略奪しに来ました。略奪者は代官の世話人と言っていました。
略奪者の中から4~5名の女性を証人として捕り押さえ、槍や鉄砲を持たせた船の乗組員100名くらいに見張りをさせました。
このことを直江兼続が石田三成に報告したら、豊臣秀吉が人を派遣し調査後、あちらこちらの代官や、その世話人100人余りを処刑しました。

また、註釈として
「年月が不詳ながらも参考のためにここに掲載したが、文中「佐渡銀子」とあるのは、多分年貢銭のことではなく、佐渡産出の金銀の意であると思う。してみると佐渡には既に銀鉱の働きも行われていたことになりそうである。」
と記載してあります。

本の構成上「藤田丹波覚書」のタイトルがP.551の
◉文禄二年 1593 三月より、毎年砂金三駄宛伏見に納めたという。 になっておりますが

この佐渡産銀3,600貫の事案は伏見城蔵納分(年貢)ではないと橘先生はお考えです。

文禄3年の伏見城造営(指月の岡)に関する事案なのでしょうか?

佐渡産の銀6貫目入りの箱600余

佐渡産の銀 3,600貫。1貫=3.73㎏換算にしますととすると13,428㎏?
グラム換算にしますと 13,428,000gです。

ちなみに、慶長三年 蔵納目録の「銀子の部」合計がグラム換算が11,552,976gです。
(銀1枚39匁・1匁=3.73gと換算して)
銀1枚43匁換算に直しても12,737,833gですから‥。眉唾物?
どちらにせよ鶴子銀山から産出された銀と思われます。すごい量です。

 

さて、この佐渡産の銀はどこに行く予定でしたのでしょうか?
文面からすると、当初警護の人がいないみたいですけど、金品の輸送に際し上杉は、護衛など就けないのでしょうか?不思議です。

橘先生は否定していますが、年貢として伏見城の御金蔵の中に入る予定だったけど、銀が略奪されたため、慶長三年 蔵納目録に載らなかったみたいな‥?

でも、秀吉の指示で100名余りを処刑したとありますが、略奪された銀の回収はどうだったのでしょうか?すべて回収されたと思いますが‥。

いずれにしても、慶長三年 蔵納目録の銀子の部に上杉景勝の名前がないのは、不可解でなりません。

 

 

 

※ この記事は2009年1月にweb掲載したものです。公開ページ(ヤフージオシティーズ)が閉鎖されるにあたり、加筆修正しブログで再公開しました。