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此度の罪状認否、日蓮聖人だけあって “承認”

七浦海岸1

日蓮聖人の佐渡流罪になった原因は何だったのでしょうか?

 日蓮聖人遺文の現代語訳は『創価教学研究室(Tommyのブログ)』というサイトに載っており理解するのに助かりました。

 あと、田中圭一先生の (2004)『新版 日蓮と佐渡』平安出版. を図書館から借りて読んでみました。すごく参考になります。しかし、だんだんと理解が進むにつれ、疑問も自ずと出てくるのであります。

 なお、当ブログで参考にし、引用した書籍は、
立正大學日蓮教學研究所(1988)『昭和定本 日蓮聖人遺文』總本山見延久遠寺, です。
引用部分の「遺文」には巻数と所在ページを表記し、下段に青枠で「現代語訳」をつけてみました。

日蓮遺文

 

 さて、日蓮聖人が佐渡流罪になった原因はと何なのでしょうか?
その答えを遺文(日蓮聖人の手紙)でみると

【種種御振舞御書】『昭和定本 日蓮聖人遺文』(第二巻P.962)
「故最明寺入道殿・極樂寺入道殿を無間地獄に堕たりと申、建長寺・壽福寺・極樂寺・長樂寺・大佛寺等をやきはらへと申、道隆上人・良観上人等を頚をはねよと申(中略)奉行人の云く上のをほせかくのごとしと申せしかば、上件の事一言もたがはず申(下略)」

とあり、要約しますと

現 代 語 訳
鎌倉幕府の奉行人が日蓮聖人に尋ねました。
「故 北条時頼(鎌倉幕府第5代執権)や北条重時が無間地獄に堕ちたので、禅宗の建長寺・臨済宗の寿福寺・真言律宗の極楽寺・浄土宗の長楽寺や大仏寺を焼き払え。そして建長寺の道隆上人や、祈雨対決した極楽寺の良観上人の首をはねろ」
ということを本当にあなたは、言いましたか?
日蓮聖人の答えは「はい、一言一句間違いなく言いました」

となります。

 言葉尻を捕らえますと、今の時代なら、さしずめカルト集団とみなされ、テロ等準備罪適用となりますでしょうか!?

 当時の御成敗式目に照らし合わせても、第九条の謀叛人事・第十条の殺害刃傷罪科事や第三十三条の強竊二盜罪科事付放火人事に抵触し、死罪は間違いないと思われます。

 しかし、

【種種御振舞御書】『昭和定本 日蓮聖人遺文』(第二巻P.973)
「又なにとなくとも頚を切らるべかりけるが、守殿の御臺所の御懐妊なれば、しばらくきられず。終には一定ときく。」
現 代 語 訳
本来なら死罪ですが、当時、北条時宗夫人がご懐妊したので、僧の斬首を忌み嫌った幕府が流罪にした模様です。

また、文永8年9月14日書作、富木常忍 に宛てた手紙によりますと

【土木殿御返事】『昭和定本 日蓮聖人遺文』(第一巻P.503)
(上略)
「此十二日酉時御勘氣。武蔵守殿御あづかりにて、十三日丑時にかまくらをいでゝ、佐土の國へながされ候が、たうじはほんま(本間)のえちと申ところに、えちの六郎左衛門尉殿代官右馬太郎と申者あづかりて候が、いま四五日はあるべげに候。御歎はさる事に候へども、これには一定と本よりご(期)して候へばなげかず候。いままで頸の切ぬこそ本意なく候へ。法華經の御ゆへに過去に頸をうしなひたらば、かゝる少身のみ(身)にて候べきか。」(下略)
 現 代 語 訳
9月12日の午後6時頃、鎌倉幕府から処罰を受けた。(流刑地が佐渡になったため、佐渡守護である)北条宣時の管理下に置かれる。9月13日午前2時頃、鎌倉を出て佐渡に向かう。現今(9月14日)は(北条宣時の配下の)本間六郎左衛門の領地である依知(厚木市)という所にいる。ここでは、本間六郎左衛門の代官である、右馬太郎という者の管理下に置かれた。4~5日間は、この地にいるみたいだ。(あなたは)嘆くけど、このことは最初から決まっていて変わらないことなので嘆かないでほしい。それより今まで死罪にならないことこそ不本意なのです。法華経のために死罪になっていれば、こんなに肩身が狭い身でいただろうか。

とあります。

日蓮聖人自身が法華経のためなら、死をもいとわない強い覚悟があったようにうかがえます。

それにしても、思い込んだら一直線の一途で強運な男「日蓮」である!?

 

【日蓮聖人遺文】とは

 日蓮聖人が書いた手紙などのことで、紙数にして約2,700枚が現存しているみたいです。
日蓮聖人直筆の遺文を「真蹟」と言い、かつては真蹟が存在したものを「曽存」と言うそうです。
(明治8年の身延山の火災で焼失した模様です)

 このWebで参考にした『昭和定本日蓮聖人遺文』は、昭和63年(1988年)改訂増補版で図書館内で閲覧できました。(図書館の方、色々ありがとうございました。)

書籍は 4巻あり、ページ番号は4巻通しの番号となっています。
また、1から2巻は制作年順に収録されています。

第1巻は、第一輯正編上として、下戒體即身成佛義から法蓮鈔の175編。

第2巻は、第一輯正編下として、種種御振舞御書から波木井殿御書の259編があり、2巻併せて1から434番の通し番号が付いています。

第3巻は、第二輯続編として、1から55番までの55編と、第三輯図録として30編。第四輯断簡として179編。第五輯講記で2点。第六輯 目録目が19点あります。

第4巻は、正編新加として435番から443番の9編等、編纂後あらたに発見された真蹟の図録や断簡が収録されています。

※昭和63年改訂増補版だと、443編が正編になっているので、これ以外は真蹟ではない贋作の可能性がある作品ということになります。

ちなみに、偽物といわれる「遠藤左衛門尉御書」は第3巻P.2102にあります。

 

 

 

 

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